2009-12-16
情報管理
昨日は謝恩会に行ってきました。
久しぶりにちゃんと働いたんで堂々と。
働いてないときも堂々と行ってたけど。
我ながら自分の無神経さと厚顔無恥さにはいつも助けられます。
足を引っ張られることも多いけど。
年に一度のこの機会を逃すとお世話になった作家さんや編集さんに会えないもの。
このところブログやネットなり、一度手を引こうと思ったものに再参加してるのは、
「雑誌に載ってるだけでは読まれたことにならない」というのを実感してるからです。
いつも読んでる雑誌に載ってるわけではない。
駅やコンビニでなにげに見かけて手に取るわけではない。
読者の目に届くまでに、能動的に手を伸ばしてもらわなければならない。
書店に置いてもらわなければならない。
大きな媒体・力のある雑誌でデビューさせてもらって、いろいろ教えてもらい経験できたこと。
それをこれから自分の中でどう生かしていくか模索中です。
自分のような誰も読んでない漫画を描いてた身でも、
みんなが読んでる雑誌に載ってたということで、その後の仕事の話が来たり。
僕を媒介してフラッパーやgood!アフタヌーンを手に取ってくれた読者も、
もともとはその前のサンデーを読んでてくれたからだし。
だからだいたい自分のいる雑誌・いた雑誌がどうすればもっと盛り上がるかという話にはいつも熱が入ります。
すでに盛り上げる力になれない僕でも。
個々の作家さんの頑張りは当然必要なんだけど、その頑張りをどう方向付けて明確に打ち出すか。
作家だけではできないことも当然ありますし、編集も作家の力なくしてはできないでしょう。
どの作家さんも本当に真剣にそれを考えてる。
真剣に考えればすなわちそれが面白さや結果・数字に繋がる世界ではない。
数字を持たない人間の言葉に意味はないのかと言われればそんなことはない。
ただ数字を持たない人間の言葉は誰も聞いてないだけで。
力なき正義も数字なき理想も無力だけど、続けるしかない。
だからやっぱり、お金や数字の問題だけじゃなく、漫画はもっと面白くないといけないんだな。
かといって、数字や力を持った発言が全て正義かと言われると、そんなことはないんだけどね。
でも数字なき作家は本当に無力。それが現実。
そんなことのためだけに面白くしようとしてるわけじゃないんだけどね。
物語を作る作業というのは説明できない。
呼吸のようでもあり、治療のようでもあり。
顧客満足度を上げるため、という部分を忘れるわけじゃないけど、芸術家でもない。
しいて言うならよりよく生きてくためというか。自分も読者も。
そんなこんなで昨日ひとつ気付かされたことは、
僕自身は情報の発信力はとても弱く存在価値も薄い。
誰も注目してないから大丈夫だろうと少し油断してた部分があります。
僕自身に価値はなくても、僕を経由した情報源のほうに価値があれば、僕は情報ツールになる。
ツールとしての僕は、元の情報源の情報価値を担うことになるなということです。
つまり、うかつにあんま周りのことは書けないものだと。
ただでさえ大げさに書く傾向があるのに。
自分自身に情報価値がないから、むしろ情報のほうの価値を上げようと誇張するような。
だから昨日ももう、本当にうれしいことがあったんですよ。
これだけで漫画家になってよかった、これからも漫画を描く力が出せると。
この一年分が報われたと思える、だからこそ誰になんといわれようが謝恩会に行ってしまうんだけど。
ああ、でも書けないなあ。
あの先生とお話できたりあの先生にあんなことを言われたりとか、もう、がんばりますよ。
久しぶりにちゃんと働いたんで堂々と。
働いてないときも堂々と行ってたけど。
我ながら自分の無神経さと厚顔無恥さにはいつも助けられます。
足を引っ張られることも多いけど。
年に一度のこの機会を逃すとお世話になった作家さんや編集さんに会えないもの。
このところブログやネットなり、一度手を引こうと思ったものに再参加してるのは、
「雑誌に載ってるだけでは読まれたことにならない」というのを実感してるからです。
いつも読んでる雑誌に載ってるわけではない。
駅やコンビニでなにげに見かけて手に取るわけではない。
読者の目に届くまでに、能動的に手を伸ばしてもらわなければならない。
書店に置いてもらわなければならない。
大きな媒体・力のある雑誌でデビューさせてもらって、いろいろ教えてもらい経験できたこと。
それをこれから自分の中でどう生かしていくか模索中です。
自分のような誰も読んでない漫画を描いてた身でも、
みんなが読んでる雑誌に載ってたということで、その後の仕事の話が来たり。
僕を媒介してフラッパーやgood!アフタヌーンを手に取ってくれた読者も、
もともとはその前のサンデーを読んでてくれたからだし。
だからだいたい自分のいる雑誌・いた雑誌がどうすればもっと盛り上がるかという話にはいつも熱が入ります。
すでに盛り上げる力になれない僕でも。
個々の作家さんの頑張りは当然必要なんだけど、その頑張りをどう方向付けて明確に打ち出すか。
作家だけではできないことも当然ありますし、編集も作家の力なくしてはできないでしょう。
どの作家さんも本当に真剣にそれを考えてる。
真剣に考えればすなわちそれが面白さや結果・数字に繋がる世界ではない。
数字を持たない人間の言葉に意味はないのかと言われればそんなことはない。
ただ数字を持たない人間の言葉は誰も聞いてないだけで。
力なき正義も数字なき理想も無力だけど、続けるしかない。
だからやっぱり、お金や数字の問題だけじゃなく、漫画はもっと面白くないといけないんだな。
かといって、数字や力を持った発言が全て正義かと言われると、そんなことはないんだけどね。
でも数字なき作家は本当に無力。それが現実。
そんなことのためだけに面白くしようとしてるわけじゃないんだけどね。
物語を作る作業というのは説明できない。
呼吸のようでもあり、治療のようでもあり。
顧客満足度を上げるため、という部分を忘れるわけじゃないけど、芸術家でもない。
しいて言うならよりよく生きてくためというか。自分も読者も。
そんなこんなで昨日ひとつ気付かされたことは、
僕自身は情報の発信力はとても弱く存在価値も薄い。
誰も注目してないから大丈夫だろうと少し油断してた部分があります。
僕自身に価値はなくても、僕を経由した情報源のほうに価値があれば、僕は情報ツールになる。
ツールとしての僕は、元の情報源の情報価値を担うことになるなということです。
つまり、うかつにあんま周りのことは書けないものだと。
ただでさえ大げさに書く傾向があるのに。
自分自身に情報価値がないから、むしろ情報のほうの価値を上げようと誇張するような。
だから昨日ももう、本当にうれしいことがあったんですよ。
これだけで漫画家になってよかった、これからも漫画を描く力が出せると。
この一年分が報われたと思える、だからこそ誰になんといわれようが謝恩会に行ってしまうんだけど。
ああ、でも書けないなあ。
あの先生とお話できたりあの先生にあんなことを言われたりとか、もう、がんばりますよ。
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